熱血教師時代

大学を卒業した後、すぐ小学校教師として赴任した。

3年生を担任。

熱中時代や金八先生を見て育った世代なので、

「情熱があれば何とかなる」

と思っていた。

今思えば恥ずかしい限りである。

ただ、当時の職場は「初任者にできるだけ多くの学年を担任させる」という方針をとっていたので、6年間に低学年から高学年までの担任を経験することができた。

同僚に教育書をたくさん買っていろいろな話をする習慣があったのも幸運であった。その中に、ちょうど動き始めた「法則化」の本も含まれていた。

2年生を担任した後、1年生を担任する。私は、今までにこの一度しか1年生を担任したことがないが、一度だけの入学式に雪が降った。

入学式が終わって、教室に入った保護者を前にして

「入学に雪が降って大変ですが、一生忘れない入学式になりますよ」

と話したことを覚えている。私にも一生忘れない入学式になった。 

6年目に校内の事情から担任外を経験する。当時の「同和教育推進教員」である。

役場の同和対策課の方々や運動体との連絡など学校外の仕事も含まれていた。

学級担任をしていないので、時間的に余裕があり、ちょうど始まった「法則化運動」の影響を受け始める。暇さえあれば、読書をして新しい情報を取り入れていた。 

当時の同和教育推進教員は、授業を持たないことになっていた。学校にいて同和教育の仕事をしながら補欠に出たり、子どもたちといっしょにそうじをしたり、のんびりとした毎日を過ごしていた。

出張にも積極的に出ていた。校内と校外と、たくさんの授業を見て、研究会に参加することができた。これは、大きな財産になった。

次に担任をしたら、これをやろうと決意し、次の学校に異動することになった。 

 

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