次に異動した学校は、文部科学省の研究指定校だった。
2002年度から3カ年計画の研究指定で「学力向上フロンティアスクール」だった。この研究指定は全国で行われた。研究は3つの分野にわたり、「少人数指導」「習熟度別学習」「教科担任制」である。
異動した年、私は3年生を担任していたので、算数が「少人数指導」になり、単元によって「習熟度別学習」だった。
「習熟度別学習」と言っても、保護者や子どもたちの感情に配慮し、成績だけでクラスを決定するのではなく、事前のテストの結果を保護者に返し、クラスを選択するというものだった。
この研究指定の中で、私は理科担当だった。当時「理科離れ」なる言葉が流行していたためか、理科主任を集めた研修会が2003年度、県の教育委員会主催でで実施された。その研修会の最初の講師が西川純上越教育大学教授だったのである。
私は、算数の時間になると、クラスが分断されている様子を見ていて
「これで学力が上がるのだろうか」
と何となく思っていた。同僚からは
「この方法で、効果が出るように指導するのです。」
と言われたこともある。
その不安が何であるのか、全くわからなかった。
ただ、西川先生の講演を聴いた後で
「もしかしたら、こっちなのではないか」
と思っていた。
西川先生の本を読み、自分の理科の授業のあり方を変えてみた。
当然、西川先生にもメールを送って、相談も始めた。
校内が研究指定で、四苦八苦している中で、自分は『学び会い』を考え始めていた。
個別指導よりも、学級という集団のあり方や、子どもたち同士の関わり方に目が行くようになったのである。
西川先生の話で印象に残ったものがいくつかある。
当時、私は理科の実験をするときに生活班を使っていた。ただ、生活班だとメンバーによって、実験がうまくいかないのではないかと予想して、どの班にも中心になる子どもが入るようにした。
確かに実験はそれなりに進んでいた。それで、問題はないと思っていた。
しかし、その配慮がもしかしたら理科嫌いを作っているのではないかと思った。実験を中心に進める人、実験のパートナー、傍観者という分析が胸に刺さった。
「班で考えるのではだめだ。クラス全体として考えなければ」
と発想を転換した。
「うまくいっている班は、周りの班を見てください。困っている班はありませんか」
という発想になった。
その子どもたちの姿を見ていて、子どもたち同士の関わりの大切さにつよく惹かれるようになった。
理科の授業は、班で実験をしたり、観察をしたり、意見を交換したりと、『学び会い』の要素が強い。普通に授業をしているようで、実は『学び会い』が可能なのである。
他の教科の同僚たちが「少人数指導」「習熟度別学習」と個別指導に力を注いでいる中で、「教科担任」をいいことに理科の授業では、『学び合い』を始めていたのである。
最後に、研究発表会で理科の授業を公開し、研究指定は終わった。
3カ年の研究指定が終わって、私は、上越教育大学に2年間の研修に行くことになる。