酒井臣吾先生

「酒井式描画法」を考案し、実践。著書も多数ある。

「酒井式描画法」は、「法則化」に含まれる考え方だが、もともとは酒井先生自身が考案し、新潟で実践して積み上げた指導法である。

「法則化」の広がりとともに、全国に広がり、多くの子どもたちを救い、素晴らしい作品を世に送り出した。

賛否があるものの、その成果は計り知れないと思っている。

この「酒井式」は『学び合い』ととても相性がいい。

 

その酒井先生とのつきあいも長くなった。

「酒井式」の講座に参加して、酒井先生の人柄に惹かれ、「酒井式」のファンになっていく先生も多いと思う。

私もその一人である。

教師として、永遠に追い続けたいと思う。

その「酒井式」の講座を埼玉で開催してきて、2012年で25回目になった。

自分たちでやっていて、凄い記録だなあと思う。

その25回目の講座の後の、懇親会で、酒井先生が開口一番

「君たちは、僕とのつきあいが長いけど、相変わらず絵が下手だねえ」

と言った。

みんなが、大爆笑した。

こういうときに、また打たれるのである。

酒井先生は、正直に「下手だ」とおっしゃったに違いない。

でも、こういう言葉でまた惹かれてしまうのである。

町田先生

私が新任の時には、同和教育推進教員を務めていた。

全国同和教育推進教員協議会の役員を歴任されていた。

この先生には、大変にかわいがってもらった。

若かった私は、何事につけ、この先生に食ってかかった。

その度に、丁寧に対応してくれた。

飲み会になると、

「ちょっと来い」

と声をかけてくれて、職員会議の続きを話し始めた。

そこで、また私が強く出ると

「まあ、飲め」

と穏やかに話し始めた。

その穏やかさが、また私にとっては、癪の種だった。

帰ろうとする町田先生のタクシーに乗り込み

「もう一件、どうですか」

と挑戦したこともある。

そんなときも

「いいねえ」

と行きつけの店に誘ってくれて、若者たちにご機嫌にごちそうしてくれた。

気がつくと、店には町田先生がいなくなっていて、

「勘定は済んでいます」

と言われたこともある。

職員旅行の夜、誘い出すと、若者たちを連れて行ってくれた。

町田先生とは、5年間一緒に勤務した。

定年を迎えられ、退職された。

残念なことに、退職とほぼ同時に、病気がわかり、およそ1年間の闘病の末、亡くなられた。

残念だった。

もっと、長く元気でいて欲しかった。

 

佐藤準一先生

『学び合い』の同志にして、人生の師でもある。

私が『学び合い』で大学院を終えることができたのも、この先生のおかげであり、現在のような全国的な広がりをもつことになったのも、この先生の功績が大きいと私は思っている。

研究指定校に私より1年遅れて異動してきた。

当初は、

「この研究指定をきっちりとやろう」

と意気投合していた。

この意気投合が、『学び合い』に私が出会ったことで、全く違う方向に展開することになる。

何が起こるか、わからない。

私が、研修に出て、『学び合い』をやっていることを知ると、今までの一斉指導の限界をいち早く察知し、『学び合い』に移行する。

一番の理解者であり、実践者であった。

私が職場に復帰するのと入れ替えに、異動した。

新しい職場で、素晴らしい実践を展開し、多くの参観者を受け入れてくれた。

2011年3月退職。

退職後、悠々自適の生活を送っているのかと思っていたら、発病し、闘病していた。

残念ながら、闘病3ヶ月で逝去。

私は、お見舞いに行こうと電話をしたら、亡くなられたと聞き、衝撃を受けたことを覚えている。

葬儀に行き、『学び合い』の同志の顔を見たら、涙が流れた。

お会いしたかった。話も伺いたかった。

 

おしゃれでダンディー、とにかくかっこいい先生だった。

教え子からの信頼も厚く、葬儀にはたくさんの教え子が参列した。

ただただ、残念である。

 

西川純先生

『学び合い』研究の第一人者である。

本人は“教祖”のように扱われることを嫌っている。

私が最初に出会ったのは、2003年度の県教委が主催する講演会だった。

「大学の先生の話なんて、退屈だろうなあ」

という私の予想は全く外れて、暑苦しい講演を1時間半にわたって続けていた。

今思えば『学び合い』が始まったばかりで、何としても『学び合い』を広げたいという気合いの時期である。

私は、当時の勤務校の「習熟度別学習」「少人数指導」「教科担任制」という研究の方向と会わずにもがいていた。

講演が終わったときに

「もしかしたら、こっちなのではないか」

と漠然と思った記憶がある。

その後、偶然にも大学院の案内が学校に来たことをきっかけにして、大学院にいくという貴重な時間をいただくことになった。

この2年間がなかったら、私は全く違う道を歩いていたと思う。

人との出会いは不思議である。

まだ、西川先生の出会いは、継続しているので、これからどのようなことが起こるのか、始まるのか、まだわからない。が、きっと素晴らしくも楽しいことが始まるのだろうと私は思っている

 

S先生

初任の学校の同僚。

今の私があるのは、この先生との出会いが大きいと私は思っている。

私より、10歳の先輩。

当時、30過ぎだったと思うが、とにかく、本を良く買う方だった。

「この本、おもしろいよね」

とたくさんの教育書との出会いに導いてくれた。

同時に

「こんなのは、研修ではない」

と当時、出始めたTOSSの本を紹介してくれたり、齋藤喜博全集を買い込んだりと熱心な先生であった。

「40過ぎて、専門のない先生は寂しいよ」

と私に早くから、専門を持つことの大切さを教えてくれた。

私は、40を過ぎても、自分の専門の教科を持つことはなかったけれど。

残念ながら、定年を前に退職。

もう一度、一緒に勤めてみたかった。

A先生

実名は明かせません。

現役ですし、後輩なので、まだしばらく教員生活をつづけるでしょうから。

私が出会った若者の中でずば抜けた力量を持っていると思っています。

初任の4月に、ある本を貸したら、次の日に返してきて

「夕べ、読み切りました。ショックです」

と言ってきた強者です。

以来、20年以上にわたって、公私ともに長い付き合いになりました。

これからどうなっていくのか、とても楽しみです。

B先生

こちらも、20年以上の付き合いになりました。

まじめで穏やかですが、仕事はできます。

不思議に、管理職にあまり恵まれずに、何回も苦しい立場になっていました。

不器用なのでしょうか。

いい出会いがあることを祈っています。

 

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