最近読んだ本の中から印象に残った本を取り上げます。

内田樹著「最終講義」技術評論社2011.7

内田樹氏初の講演録。6つの講演を収録。中でも「Ⅴ 教育に等価交換はいらない」という守口市教職員組合」の講演録が私は一番気に入った。今までも、内田氏は「教育は等価交換ではない」「教育を市場原理で語るな」ということを繰り返して語ってきた。

「先生、これをやって何になるのですか」

という問いを立てる子どもには、学びが起動していないという指摘にうなってしまった。

 

池内紀著「山下清の放浪日記」五月書房1996.6

放浪の画家山下清の日記である。テレビで見る想像の山下清ではなく、実際に彼が書いた日記を編集したもの。山下清が放浪しながら何を考えいたのかがわかっておもしろいところもある。

彼の放浪の様子とともに、戦時中に日本の社会がどのような状態だったのか、がわかっておもしろい。山下清が「駅に泊まる」「朝ご飯をもらいに行く」「ご飯をもらえなかった」ということを繰り返し書いていて、当時の日本の社会では、そうやってご飯をもらうことができたのだと思うと、不思議な気がする。

巻末に、「熊谷の花火を見た」という記述があり、親近感がわく。

 

高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹著「不機嫌な職場」講談社現代新書2008.1

署名に惹かれて買った本。ブックオフで100円だった。2008年に出版された本が100円になるなんて情報の流れの速さを感じる。

この本は「不機嫌な職場」と打っているけど、「上機嫌な職場」の話である。

例えば、世界的な企業であるグーグルは、全社員のスキー旅行を企画したところ、全世界から3500人が集まったという話には笑ってしまった。

職員室が窮屈で嫌だと思っている方、何だか不愉快な職場、自分だけが苦労しているように思ってしまう職場に悩んでいる方には、おすすめの本です。

 

 

文藝春秋2011.9月号から

生島淳・松原考臣著:あの日に帰りたい 被災地高校生の部活:

 今月号の文藝春秋はなかなか読み応えがある。スポーツライターが被災地の高校生の部活動の様子を取り上げたこの記事は、震災によって失われた部活動を取り返していく過程を描くもので胸を打った。高校生たちが前向きになっていく姿に感銘を受けた。

もう一つ。

吉井妙子著:澤 穂希「私はあきらめない」:

なでしこジャパンの澤選手を追ったルポ。今回の活躍だけでなく、長い取材が記事になっている。

あれだけの選手でありながら、順風満帆ではない。自分が好きなことをやり続ける困難を感じさせる内容である。

 

金森俊朗著「いのちの教科書」角川書店 2003年10月

副題に「学校と家庭で育てたい生きる基礎力」とある。すでに定年を迎えているが、NHKでも取り上げられた実践を紹介する本である。

「命を大切にしよう」と口だけで繰り返す教育とは別の世界の教育がある。これをすべての教室でやることはおそらくできないだろう。ニワトリを保護者と子どもたちが“つぶし”て料理する。末期ガンのガン患者を教室に呼んで話を聞くなど、大胆で「ほんものの教育」がある。

これを

「かつてこんな教師がいた」

なんて話にしてはならないと思う。

名人の本は、自分にはできないけど胸を打つ。

 

渡部昇一著「知的余生の方法」新潮新書 2010年11月

 高校生の頃に読んだ「知的生活の方法」から34年。

80歳を迎えた著者が続編の形で書いている。

前著「知的生活の方法」の内容はすっかり忘れているが、「こんな生活ができたらいいなあ」と私のの生き方に影響を与えた本の一つである。

これから年をとっていく私にはぴったりの内容である。

「第六章 恋愛と人間関係について」の中で、明治から大正にかけての海大や陸大の話から学歴社会に対する指摘には、うなってしまった。

「若者は、会社のおいてはだいたいが使われる立場なのだから、いい学歴を持つと有利になる。しかし、シニアになって会社の出口近くになってくると、関係がなくなる、ということでもあるだろう。これが今の世の学歴の本質だと思う。」(P.202)

部分的な引用ではわかりにくいが、なるほどと思ってしまった。

 

堀井憲一郎著「いつだって大変な時代」講談社現代新書 2011年7月

堀井憲一郎氏は、長くラジオのパーソナリティーをしていたし、週刊誌でも連載をもっている。

同世代の物書きとして、共通するものがあり、読んでいて楽しい。最初は、どんなものを書くのかと興味があって読み始めたが、前作の「若者殺しの時代」を読んで、今までの軽いイメージが吹き飛んでしまった。

「若者殺しの時代の続編ではない」という下りがあるが、私には、「続編なのかな」と読めてしまった。校務委員会で

「こんな時代ですから」

と発言した教頭に対して

「こんな時代って、どんな時代ですか」

と突っ込んでしまった私には、共感を覚える内容だった。

「こんな時期だから、仕方ないよね」

という言い方で何となく言いくるめられてしまう状態を考えてみたくなる気持ちになった。 

 

立花 隆著「滅びゆく国家~日本はどこへ向かうのか」日系BP社 2006.4

立花隆が2005年3月から2006年2月までネット上に書き込んだものを編集し直した一冊。時代がたっているので、ブックオフで105円で購入した。分厚い本なので「読まないかな」と思ったが、一度読み始めてみると、実におもしろい。

小泉改革の末期の話。中国の話。女性天皇の議論など、今からふり返ると「あの時、こんなふうになったけど」と思える。当然、立花氏の予想が当たっているところも外れているところもある。あの後、自民党が歴史的な大敗をして、民主党の政権に成り、その民主党が今度は敗れて、自民党が復活している。あの時代に、これを予想できた人がいるのだろうか。

と、考えながらの楽しい読書をしている。 

内田 樹・中田 孝著「一神教と国家」 集英社新書 2014.2

内田氏の新刊。私は自他共に認める“ウチダリアン”だが、この本の魅力は、いつもの鋭い内田氏の見方とともに、共著の中田氏の生き方にある。

中田氏は、「東大のイスラム学科で、ムスリムになったただ一人の人」という肩書きを持つ。

イスラムについて、私が全くの無知であったことが良く分かる。今まで、何回もイスラムやアラブについての本を読もうとし、読んでもきたが、これほどに、「あーあ、なるほど」と思った本に出会うことはなかった。

アメリカ主導のの「グローバル化」の本質と、対立することになっているイスラム圏の問題。中田氏のいう「カリフ制」についてなど、多くの示唆を得る本になった。だから読書は止められない。

この対談を成り立たせた内田氏の慧眼にも感服。凄いものである。

 

 

内田 樹・小田嶋 隆・平川 克美著「街場の五輪論」 朝日新聞出版 2014.2

私は、オリンピックが大好きである。そのオリンピックが東京に来るのだから、落ち着いてはいられない。

この本は、「オリンピック招致反対」の立場で書かれている。どうして、反対なのか。招致が決まった後に、この本を書く意味があるのか、など、興味は尽きない。

 

平川氏のエピローグに

「成熟国日本らしい、落ち着いた成熟都市のモデルケースになるようなオリンピックにしてもらいたいとも思う。新しい競技場はいらない。使えるものは、補修し、基準に合わないものはその部分だけ補正して使えばいい。」(P.186)

とある。

私も、そう思う。もはや、オリンピックを国威発揚の場とする国ではない。成熟した先進国としてのオリンピックにしてもらいたいと私も願う。

大統領が出てきて、いかにも国威発揚の場としてのオリンピックを開催するのではなく、もっと自由で伸び伸びとしたオリンピックになってほしいと私も願っている。

 

志水宏吉著「つながり格差」が学力格差を生む 亜紀出版 2014.4.25

秋田県福井県など、全国学力テストの上位県についての分析から、「離婚が少ない」「持ち家がある」「不登校にならない」の理由を挙げて、その分析の視点として、「つながり格差」を挙げている。

秋田県の業績に、「学習過程が優れている」など、短絡的な理由を挙げている本よりもずっと広範な見方とデータを駆使して、秋田県などの実績の理由を探っている。私は大学院で秋田県からの派遣の教師と話したときに「秋田県って、全校が200人以下の小学校が8割以上ですよ」と聞いて、びっくりした。さらに、同僚に秋田県の出身者がいたこともあって、秋田県の学習過程に原因があるという論考には納得していなかった。

さらに言えば、関東の小学校にはあり得ないが、雪国には体育館が二つある小学校が珍しくない。

学力が高い理由は、複合的な理由で成り立っているはずである。

その複合的な理由に切り込まない限り、意味のある分析はできない。

昭和の学力テストの結果と、現在の学力テストの結果を比べての分析も面白い。

 

残念なのは、

「では、どうしたら良いか」

という取組の提案が弱いところである。

『学び合い』がこの指摘にどのように対応できるのか、まだ私の問いは続いている。

 

西川純著 2020年激変する大学受験!

アクティブ・ラーニングからこれからの大学の変貌を指摘する名著。あまりにも刺激的だったので、同僚の話がわかりそうな人たちに紹介した。「私は逃げ切りだけど、君たちと君たちの子供たちには大いに関係するから読んだ方がいいよ」と進めた。すぐに戻ってきたので、読み始めたらやめられないのだろう。多くの若者たちに読んでほしい一冊。この本を読んだ人たちは、全員「西川先生の講演が聴きたい」という反応だった。

岡田尊司著 ネオサピエンス  回避型人類の登場

発達障害の子供たちが増えているという実感を持っている教師は多い。

「昔もこんなにいたのかね」

という会話を何回してきたのだろうか。確かに今振り返れば、あの子もそうだったのかもしれないと思うこともある。あのとき、現在のような理解ができていれば、違う展開があったのではないかと反省することもある。

そんな感じを解く考え方を提示してくれる一冊。

職場の変化もこの指摘で説明できる部分がある。

恐ろしい指摘でもある。

 

宇佐美寛著 国語科授業における言葉と思考  「言語技術教育」の哲学

発行は1994年5月。一度読んだことがあるはずだが、時間があるのでじっくりと読み返してみた。

宇佐美先生が25年も前に指摘したことが、全く簡易決していないことに気づく。同時に、宇佐美先生の著作を争うように読んでいた当時の「法則化運動」の志士たちの志の高さに驚く。

全体で270ページに及ぶ分厚い本だが、内容はさらに刺激的であり考えさせられる。

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