異動した年に6年生を担任する。
1年間のプランクは大きくて、担任としての実感がわかないまま、1学期が終わった。
法則化が次々に発信する新しい情報に見せられて、法則化にのめり込んでいく。
ただ、法則化の創世記を過ぎていたので、追う立場になっていた。
次の年、新任でI先生が入ってきて、二人で法則化を追うことになる。
法則化の雑誌で、近くの大学に法則化に関係している岡本明人氏がいることを知り、サークルに参加。このころ、法則化の成果を競う空気すらあった。私も、「法則ができないものがあるのか」とも思うようになっていた。新しいネタ、新しい授業展開などに没頭していた。
岡本氏のもとで、ディベートの授業を進める。
I先生とともに自分たちでもサークルを作り、サークルで「おもしろ準備運動100選」明治図書の出版に参加する。
新潟で、酒井臣吾先生の「教育のフェスティバル」に参加して、「関東で酒井式の講座がないから、自分たちでやっちゃおう」と考えて、「酒井式」の講座を始める。
法則化が開発した技術や授業は大きな成果があったと思う。また、法則化を通して出会った教師たちもとても楽しい人たちだった。
一方でどんなに説明や指示を細分化し、改善しても伝わらない子どもたちがいることも事実だった。
そんなことをやっている内に
「法則化には限界があるのではないか」
と思うことがあった。
子どもたちは、そんなに簡単ではない。
後で思えば、技術を改善していくという発想が間違いだったのである。
そこで、I氏から紹介された
「クラスはよみがえる」野田俊作他著を読み、法則化から離れようと思う。
アドラー心理学に接近する。